れいたんパパの雑記ブログ

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はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

『私の記憶に残っている、あの日』

 

私の記憶に残っている、あの日は神奈川から宮城に旅立つ朝です。

 

本当は夜まで神奈川に居たかったですがあえて早朝に旅立ちました。

 

〜旅立つ数週間前〜

 

当時私は父との仲が悪く喧嘩しては周りを困らせてました。

 

その日も父と喧嘩して事が済んだ後に母に

『12月に神奈川出てく』と言い放ったのが11月の初旬の事。

 

今まで私が何をするにも反対しない母

ですがこの時ばかりは『年明けからにして』そう言葉が返ってきたのは意外でした。

 

反論され母の態度に呆気に取られてると、続け様に『心の準備が出来てない』

 

シンプルですが私の心には重く刺さる言葉でした。

 

そこで年明けにしようか迷いましたが意地っ張りの私

 

『そんな事言われてもしょうがないから』

 

冷たく返した事はいまだに後悔してます。

 

〜11月末〜

仕事も退職して、地元のお世話になった方々や思い出の場所を巡っていました。

 

一人で自転車をはしらせて

 

今は駐車場になってしまった生まれ育ったアパートの跡地

 

家族でよく行った緑地公園

 

弟と時間を忘れて遊び呆けた、ゲームセンター

 

失恋の思い出をグラスのお酒と一緒に飲み干した赤提灯

 

いっぱいの思い出を拾い集めていたら夕方に差し掛かり次に足を運んだのが

 

良い思い出も悪い思い出もたくさん溜まった多摩川河川敷。

 

多摩川河川敷はたくさんの思い出がありました。

 

たくさん笑って

たくさん怒って

たくさん泣いて

 

 

思い出にふけていると、西陽が目一杯差してきました。

 

それは燃えるようなオレンジ色

 

思い出に浸り神奈川から離れたくないのを、察したかのようでした。

 

私は西陽に背中を押されて宮城に行って幸せになると心に誓い家に戻りました。

 

家族には宮城に行く日を伝えてませんでした。

 

私は家族が大好きだから、見送られたりしたら宮城に行けなくなってしまうと分かっていたからです。

 

頼れる父が好きでした

 

母の笑顔が好きでした

 

優しい妹が好きでした

 

頑張る妹が好きでした

 

可愛い弟が好きでした

 

明るい家が好きでした

 

私は家族が大好きです。

 

そしていつもの夕飯を終えて

 

もしも、未来の自分に聞けるなら

 

『宮城に行ったら幸せになれますか?』

 

そう尋ねたいです。

 

そんなことを考えると寝入っていました。

 

 

早朝、起床した私はこっそり家族の寝顔を確認してから家を出ました。

 

家を出てから当たり前に通っていた道が明日から当たり前じゃなくなるのかと思うと寂しい気持ちになりました。

 

駅につき、ターミナル行きの電車に乗り込みました。

 

ふと窓に目をやると生まれ育った町、我が家が見えていつもよりキラキラしていたのを覚えてます。

 

見えなくなるまで目に焼き付けました。

 

目頭が熱くなるのがわかり、必死で気を紛らわせました。

 

バスに乗り込むあたりで母から一通のメール

 

 

気をつけていけよ

 

今まで散々お母さんたちの為に色々してくれたんだからこれからはお義母さんと彼女大事にしてあげてよ

 

いつの間にか泣いてました

 

本当は行って欲しくないなんて言われなくても分かってます。

 

不安でいっぱいなのは私だけではないと分かっていたのにわからずやな私。

 

母が私にくれた精一杯のメール

 

どんな気持ちで送ったかなんて分かりませんが家族に黙って出てきた弱虫な私に到底真似できません。

 

誰よりも弱いと思っていた母は誰よりも強くたくましい。

 

あっという間の5時間30分

 

お昼過ぎに仙台に着いて私の新生活が始まりました。

 

そこから4年走るように流れる時間に一喜一憂して今に至ります。

 

娘も生まれ、たまに喧嘩しますが妻とも仲良く、お義母さんともうまくやってます。

 

 

もしも、過去の自分に言えるなら

 

『宮城に行った私は幸せです』

 

そう伝えたいです。

 

 

 

 

 

最後までありがとうございましたぁっ🦥